現在はコロナ禍で日本に留まっているが、私は通年、アメリカと日本を行き来する生活をしている。
成田からニュージャージー州最大の都市「ニューアーク」を経由して、ボストン入りがいつものルートだった。ボストン近郊のウォーバーンという街が私の仕事場で、ここを起点として東海岸のエリアを方々回っていた。
ローガンエアポートの敷地内にあるレンタカーステーションのスタッフ達は皆、私の顔を知っていると言っていい位、よく利用していた。
中でも「エイビスレンタカー」が特にお気に入りであった。
車を借りる際、いつも野球の話になる。
メジャーリーグの「ボストンレッドソックス」が地元のチームなのだが、私の苗字がマツイのため、いつもニューヨークヤンキースの話になり、こちらも急ぐ旅でもないので、ついつい付き合っていた。
「松井秀喜はどうしてる?いいバッターだった。人としても素晴らしかった。」とか、そんな話を毎回してくる。
それに対して私はいつも「野茂英雄」の話をして返す。野茂の「トルネード投法」を知らない事が多いが、私がその度に野茂英雄の投球フォームを真似していたので、対応してくれるレンタカースタッフもカウンター越しにトルネード投法を真似するようになった。
ある時私は、「日本に大谷翔平という凄い2WAY(二刀流)がいることを知っているか?」と聞くと、答えは「NO」だった。
「じゃあ、昔、グレートバンビーノという選手がこの土地にいた事は知ってるか?」と続けると、「バンビーノを知らない奴はアメリカ人にはいない」と答えた。
グレートバンビーノとは、ジョージ・ハーマン・ルース(ベイブルース)のことだよ。
続けざまに「実は日本人に、若くてナイスガイなグレートバンビーノがいるんだ。奴は、100マイル(160km)ピッチングをして、しかもホームランバッターなんだぜ!」と言うと、
かなりびっくりして「そいつは今どこにいるんだ?」と聞かれた。
「大谷は日本の北海道のフランチャイズにいて2WAY(二刀流)で活躍している。必ずメジャーに来るから覚えておきな!」
そんなよもやま話を、いつもカウンターでしていた。
翌年ついに大谷はメジャーリーガーになった。一部のファンの間では話題になっていたが、当時、東海岸ではあまり話題にはなっていなかった。
この辺がアメリカの面白いところでもある。アメリカとは究極の愛民愛郷の集まる国家なのである。
今問題視されているロシアは「ロシア連邦共和国」、アメリカは「アメリカ合衆国」と呼ばれ、どちらも二つ以上の国または州から構成されていて、国民により選ばれた大統領や首相が国家元首となっている国だ。
王様や貴族を国家元首とする王国や公国とは違い、国や州単位での団結力が強いため、同じ合衆国内であっても、ほかの州の事には意外と興味がないのである。
それがどんなに凄い話であってもである。そのかわり、いざ自分たちのエリアの事となると手に付けられない程、気の狂ったファンが多い。特にボストンやニューヨークのファンは異常な程である。
俳優のベン・アフレックはボストン・レッドソックスの熱狂的なファン。一緒にいる女性は、当時お付き合いしていたジェニファー・ロペスである。
例えばアメリカでオリンピックをやっていたとしても、日本人みたいに他国の選手を応援したりはしないし、話題にものぼらない。その辺がアメリカらしさなのである。
しかし大谷がこれだけ活躍してくれば、少しは状況が変わってくるかもしれない...
彼は小学生の頃に、松井秀喜氏とダルビッシュ有氏に憧れ、この頃から自分はメージャーリーガーになると決めていたと言うから、大したものである。
さてメジャーリーガーには2WAYの選手が何人もいる。もちろん日本人にも多くいるが、メジャーも日本もすべて過去の人である。
メジャーリーガーで2WAY選手と言えば、やはりグレートバンビーノことベイブルースであることは間違いないのだが、他にもいっぱいいるのだ。
ニクシー・キャラハン、マイケル・ローゼン、ジョージ・シスラー、ウィリー・スミス、ドク・ホワイト、リックアンキールとこんなにもいっぱいいる。ニグロリーグも入れたら、かなりの数になる。
もちろん日本にだって、藤本英雄氏、藤村冨美男氏、景浦將氏、西沢道夫氏、野口明氏、野口二郎氏、関根潤三氏など、意外と多くいるのだ。
ただし、投手が足りなくて本来は野手だけど投手も兼任していた時があったとか、投手だったけど野手に転向したりだとか、大谷翔平の様なリアル二刀流の選手はあまりいない。
ニクシー・キャラハンは1902年にノーヒットノーランをやっている。通算成績は、901安打、11本塁打、打率.273、186盗塁。99勝73敗、防御率3.39だ。
レオン・デイはニグロリーグで活躍。打って走って、そして投げる。彼のポジションはキャッチャー以外であれば、どこでも出来たと言われ、1995年に亡くなる僅か6日前に野球殿堂入りを果たしている。
ブレット・ローガンは119勝しているが、ホームランは45本。彼はニグロリーグで活躍した選手であるがMLBの殿堂入りをしている。
ドク・ホワイトは189勝しているがホームランは2本。このように比較していくと、現時点では大谷の記録はまだまだである。
しかし大谷翔平は、投げて、打って、そして走るのだ。そんな選手は現在、メジャーには一人もいない。
ベーブルースは投手を辞めてからの打撃が凄いのだが、それでも94勝はやはり凄い。
日本ベースボールでも、藤本英雄氏は200勝・ホームラン15本、藤村冨美男氏は34勝・ホームラン29本1126打点、西沢道夫氏は60勝・ホームラン212本940打点、野口二郎氏237勝ホームラン9本、凄い先輩達はいるのである。
一般的に投げて打っての評価は難しい。
私個人の意見ではあるが、日本ハムの頃から打者大谷を希望していた。何故ならば世界の王貞治を抜ける選手は、きっと彼以外いないと思うからである。
そういえば王さんも元々はピッチャーで入団、早く見切りをつけて打者として大成した。
ワンマイル投手であってもメジャーではそう簡単に通用しない。スピードボールは昔から打たれるのだ。だからワンマイル投手としての成功の確率はメジャーでは低いと思われる。そして打って走って投げては体の負担が大きいので、かなり短命の選手になるであろうと私は思う。
ただ彼の場合は、スライダーやスプリットが「えぐい」ので、スピードボールも生きてくるのであるが。
日本での記録が今一つで、5年間で投手としては42勝・ホームランが48本。
日本で基礎を作ったから今があると言えばそれまでなのだが、この5年間にもしメジャーにいたとしたらどんな記録になったのか? さっさとメジャーでプレーすれば良かったのかもしれない。
彼がバッターオンリーでメジャーでやっていたら、目指せハンクアーロンであり追い越せ王貞治であったと思うのは私だけであろうか?
ただ、私の知り合いに言わせると彼の凄いところは記録ではなく、これから現れるであろう2way選手の為のレールを引いた事だと言っている。
今までメジャーの選手登録枠(ロースター)は40人(ベンチ入りは26人)で、野手か投手で登録しなければならず、2way選手の場合は野手と投手の両方での登録が必要であった為、実質39人になってしまうのであったのだが、大谷が来てから二刀流選手の為に「2way」という二刀流枠が新たに出来たのだ。
それと今シーズンから二刀流登録選手が、例えば4番・ピッチャーとして出場していたゲームで、途中でピッチャーを降りた場合でも、打者としてそのゲームに残る事が出来る様にルールが変更になった。
良い例が昨年のオールスターゲームで、1回の表に「先発投手」として、そして1回の裏に打者として「1番・DH」で出場。ピッチャーを降りた後にも打者としてバッターボックスに立った。
これは大谷翔平の為に作られた特別ルールで、長いメジャーの歴史においても初の快挙なのである。
知り合い曰く、記録はこれから積み上げて行くので、応援ヨロシクとの事だそうだ(笑)。
野球好きの話
先月の4月15日、大谷翔平は今季第1号を先頭打者ホームランで飾った。折しもその日は「ジャッキー・ロビンソンデー」であった。
「ジャッキー・ロビンソンデー」って何?
メジャーリーグの全30球団の全選手が、ジャッキーロビンソンがつけていた「42」の背番号をつけて試合をする日。これが「ジャッキー・ロビンソンデー」である。
(現在も背番号「42」は、メジャー全球団の永久欠番なのである)
1947年4月10日、メジャーのブルックリン・ドジャースは、3Aのモントリオール・ロイヤルズにいた「ジャック・ルーズベルト・ロビンソン」をメジャーに昇格させた事を各新聞社に発表した。
すると4月15日の開幕戦にはジャッキー・ロビンソンの勇姿をひと目観ようと、14,000人以上の黒人がエベツフィールドに集まった。これ迄にはありえない事なのである。
1884年のモーゼス・フリート・ウォーカー以来63年ぶりの黒人選手がメジャーに上がったのだ。人種隔離政策に悩まされていた時代にである。
神のご加護は皆同じで、空気も水も太陽も誰もが平等に与えられるはずなのに、肌の色が違うというだけで、座るベンチや座席、ホテルやレストラン、トイレまでもが差別化されていた。
そんな時代にブルックリン・ドジャースの社長兼GMだったブランチ・リッキーから声がかかったのだ。
ブランチ・リッキーはジャッキーに良き紳士であれ、差別を受けた時にどんなことがあっても「やり返さない勇気」を皆に見せろと言った。
ジャッキーは、それを見事実現した。今でも多くの人種差別はある。アングロサクソンは王様で、それ以外はその他大勢、黒人は奴隷なのである。
ジャッキー・ロビンソンの影響により多くの黒人が救われ、日の目を見る事が出来たのも事実。だが敢えて言わせてもらう。実は黒人はまだ良い方で、アジア人はその土俵にすら立てない事が、多くあるのも事実なのである。
私は熱烈な野茂ファンであるのだが、野茂氏がメジャーに挑戦する時は、日本人の多くが否定的、特にマスコミはマイナス意見ばかり。応援しなければいけない我々日本人が、野茂氏の敵に感じるほどだった。日本でもアメリカでも野茂氏の話になると私一人で頑張り、そこにいた全員と喧嘩をしたものだ。
私のようなただの素人が「頑張れ野茂」といくら叫んでも聞こえるはずもなく、彼を応援するものが周りでは誰もいなかった。応援や肯定的な意見は一切なかった。どうせだめだとか、あいつは感じが悪いとか、アメリカをなめすぎてるなど、散々であった。
応援するものがいない場所で一人で歯を食いしばってやり遂げたところは、ある意味彼は、日本版ジャッキー・ロビンソンであったかのかもしれない。
映画「42~世界を変えた男~」のラストシーンで、ジャッキーロビンソンが列車の中から黒人の少年(後のエド・チャールズ)にボールをパスをするシーンがあるが、ジャッキー・ロビンソンからエド・チャールズに意思が引き継がれた瞬間であろう。
映画で何度もそのシーンを見て涙したものだが、観た事ない方は是非見てもらいたい映画である。
「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならないのだ」
たった一人の選手が人種の垣根を破り自分の居場所と黒人たちに勇気を与えたことは、他の民族にも勇気を与えたことになる。
エド・チャールズはジャッキーロビンソンが引いてくれたレールに乗っかった様に、イチロー氏も松井秀喜氏も多くの日本人選手は、野茂英雄氏や村上 雅則氏(アジア人初のメジャーリーガー)がレールを引いてくれたからこそなのであろう。
日本人としてグローブひとつ、バット(刀)1本持って米国に乗り込んだとき、レールを引いてくれた先人がいたからこそ、今があるという事を知って、改めて勇気を貰ってチャレンジして欲しいものである。
書きたい事はまだまだてんこ盛りあるのだが、また取り留めもなく長くなってしまうので、このくらいに留めておこうと思う。
最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。