アメカジ

アメリカAtoZ  D・E・F 編

アメリカ AtoZ。と題して、A~Zまでの頭文字で一つずつ、アメリカのモノ、ブランド、人物などをご紹介しています。アメリカ、そしてアメカジ好き親父の嗜好の強い内容となっておりますが、今回は、D、E、F、について書いて行きたいと思います。


目次

  • AtoZ 「D」Deck ShoesとDennis Conner
  • AtoZ 「E」EddyBauer
  • AtoZ 「F」Filson
  • まとめ

「D」デッキシューズとデニス・コナー

「デッキシューズ」、海外ではボートシューズとも言うが、日本では一般的にキャンバスデッキとかレザーデッキなどと表現する。

アメリカでは第二次世界大戦で「トップサイダー」が海軍のオフィシャルシューズに認定されたり、ハーバードやイェール大学等のアイビーリーグの学生達(アイビーリーガー)も愛用している。

ジョン・F・ケネディー元大統領が、避暑地で過ごす時やヨットに乗る時などに、こよなく愛したのもデッキシューズであり、アメリカを語る上では外せないアイテムなのだ。

元々はモカシンと言って、アメリカの先住民達が履いていた一枚革で作られたスリッポン形式の靴のことで(インディアンモカシンともいう)そのモカシンにソールをつけたものがレザーのデッキモカシンである。

単に、デッキシューズと言っても、ヨットマン達が命を守る為に着用するかなりのハイテクシューズや、オリンピックやアメリカズカップなどの競技用もあるのだが、ここではデッキモカシンやキャンバスのものなど、アイビー世代の方達が憧れた、俗にいう "デッキシューズ" について話したいと思う。

(この写真は実際にヨットの上で履いている為、かなり潮がかぶり変色している)

アメリカでデッキシューズと言えば「sebago」「Eastland」「Timberland」等が一般的だが、なんと言っても代表的なブランドと言えば「TOP-SIDER」だろう。

アメリカ合衆国第35代大統領のジョン・F・ケネディが避暑地で愛用していたのが、セバゴやトップサイダーだと言われている。

ハッキリと見て取れる画像がないので定かではないのだが、米国⇒大統領⇒JFK⇒東海岸⇒避暑地⇒ヨット⇒デッキシューズ、そんな図式が浮かんでくる。

デッキシューズはアメリカの歴史に刻まれるアイテムと言っても過言ではないだろう。

デッキシューズには「キャンバスオックスフォード」と呼ばれる布製のタイプがある。POLO ラルフローレンのコレクションにも毎年存在する。

もちろんヨーロッパにも多くのデッキシューズが存在する。中でもヨットマン達が最も愛用しているブランドは、アイルランドのデュバリーである。

デッキシューズにいち早くゴアテックスを取り入れたブランドで、デッキシューズの "ロールスロイス" とも呼ばれている。

その点では、トップサイダーはそんなに素晴らしいものでもないし、世界的に有名だったわけでもない。アイビー少年達にはかなり憧れではあったが。。。

トップサイダーを世界的に有名にしたのは、アメリカズカップの要因がかなり大きい。

EDDY

アメリカズカップとは「世界最高峰のヨットレース」のことである。

ここでちょっとだけ、アメリカズカップについて話しておこう。

ヨットレースには、世界を単独で回るバンデグローブボルボオーシャンレース、はたまた私が毎年参加している石原裕次郎メモリアルカップヨットレースのようなローカルなレースもあるが、アメリカズカップはスピードを競い合う「海のF1 」と言われている。

元々の起源は英国で、1851年に開催された第一回万国博覧会の記念行事の、ホワイト島一周レースに端を発する。

このレースに優勝したのがアメリカのチームで、ビクトリア王女からたまわった銀製の水差しのカップをアメリカに持ち帰った事から、その『アメリカ号』の名を冠したカップをアメリカズカップと呼び、その後、132年間アメリカがこのカップを防衛してきたが為に、事実上「アメリカ合衆国のカップ」と同じ意味合いで称されている。

EDDY

オリンピックより45年、ゴルフの全英オープンより9年も早く、継続して使用されている世界最古のスポーツトロフィーなのだよ。

ところでDennis Connerは? そうそう、肝心な話をし忘れていた。

デニス・コーナー氏とは、アメリカヨット界の伝説のスキッパーである。スキッパーというのは艇長のことで、アメリカズカップで活躍したアメリカチームのキャプテンである。

同時に彼は歴史を狂わせた ”第一人者” でもあった。つまりカップを防衛できなかったのである。第25回アメリカズカップにおいて、オーストラリアⅡ号に敗れて全米から非難された。

https://www.americascup.com/en/social-news/61_AMERICAS-CUP-VENUES-FREMANTLE-AUSTRALIA

(デニス・コナー氏率いるチームアメリカ、スターズアンドストライプス号、12m級のヨットの迫力ある戦いである。)

アメリカズカップは1対1の勝負、マッチレースなのだ。つまりチャレンジャーは、1から勝ち上がって行かなければ、チャンピオンと戦えないのである。

https://ja.wikipeluangusaha.com/wiki/Dennis_Conner ウィキペディアより

しかし彼は、敗れた次の第26回アメリカズカップにおいて、再びCUPを奪回したのだった。

またアメリカのヒーローとなった。時の彼を全国民が称え、レーガン大統領によってホワイトハウスに招待されたのだ。

彼が率いるアメリカチームメンバーは、ネイビーブレザーに白のボタンダウンシャツ、クレストアンドレジメンタルタイを締めてチノパンを履いていた。

アメリカズカップは、全米が注目するアメフトに並ぶエキサイティングな競技。そんな時代の追い風に乗って販売されたのが、『トップサイダー』のデッキシューズなのだ。

カタログにあるものはその名も「アメリカズカップモデル」。左の写真が私のヨット用にしているものと同じMP991である。

そして「スターズアンドストライプス」を率いるデニスコナーが、ホワイトハウスでロナルドレーガン大統領に表彰された時に履いていたものは、おそらく写真右のオフホワイトのアメリカズカップモデルMP931だと思われる。

これは1979-1980年のトップサイダーのカタログであるが、この三年後にデニス率いるリバティーはオーストラリアチームに屈するのだった。

トップサイダーに憧れていた、アイビー少年やアメカジ少年に衝撃を与えるのには十分な出来事だった。それがデニスだけのせいだとは言わないが、その後、トップサイダーのブームは少し薄れていった。

しかしながらそれは日本での話で、アメリカではファッションに流されない文化があり、それは今でも存在する。

私は普段アメリカの東海岸にいる事が多いのだが、海のそばで暮らす人々は、海と同じようにデッキシューズを愛していて、サンダル代わりにも履いている。冬でも履いている人を良く見かける。

日本では、単にファッションアイテムだったデッキシューズも、彼らにとってはアメリカというか、地元愛を象徴する物の一つなのであろう。

アメリカのルーツであるニューイングランドの海辺で暮らす人々にとってデッキシューズとは、『海を愛する人々の大切なアイテム』なのであろう!

「E」EddyBauer

さてさて皆さんは、『エディーバウアー』をご存知であろうか?エディバウアーとは、アメリカを代表するストアーブランドである。

日本国内にもエディーバウアーのお店は多く存在するが、先日エディバウアージャパンが、日本国内にあるアウトレットを含む約60店舗やオンラインショップを2021年12月いっぱいで全店閉鎖する事を発表した。

とても残念ではあるが、気を取り直してエディバウアーをご紹介したい。

https://eddiebauer.jp/eb/eb.aspx エディーバウアー公式ページより

エディーバウアーをアメリカブランドの代表に選んだ理由。

実はこのブランドは世界で初めて、羽毛を使ったキルティング製法を取り入れ、ダウンジャケットを世に紹介したブランドなのである。

誰でも必ず一枚は持っているダウンジャケット、そう、冬になると寒さから体を守ってくれるダウンジャケットである。ダウンジャケットはアメリカの発明品なのである。

創業は1920年、今から100年ほど前に、エディ・バウアー氏は、シアトルにてテニス用品店をオープンする。いわゆるスポーツ店でゴルフやバドミントン、後にはフィッシング用品を製造販売していた。

ダウン誕生の秘話にこんな話がある。

エディ・バウアー氏が冬に釣りに出かけた時に、低体温症となってしまった経験を生かし、アウターの内側に羽毛を封じ込めた上で、キルティングを施したフィッシングジャケットを開発したのだ。ロシアの人々の防寒着からヒントを得たものだという。これがダイヤモンド型のキルトが施された "世界初のダウンジャケット 『スカイライナー』"である。

襟や袖口にはリブを使い、ハンドウォーマーの大きめのポケットを付けたもので、今ある各ブランドのジャケットの原型がここにある。

https://eddiebauer.jp/eb/eb.aspx エディーバウアー公式ページより

このダウンジャケットの製法で、エディ・バウアー氏は特許を取得している。つまり「ダウンジャケット」とは、本来この会社しか使ってはならぬ名称なのである。

1942年には米空軍の要請を受け「B-9フライトパーカー」の製造も手がけ、50,000着以上を生産。これによりエディ・バウアーは米軍の制服にロゴを使用することを許可された初めての会社となる。

1963年には、アメリカ人初のエベレスト登頂に成功したジム・ウィッタカー氏が同ブランドを着用していたことから、アメリカを代表するアウトドアブランドとして国内外に広く知られるようになった。

エディーバウアーなくしてアウトドアーは語れないし、ダウンジャケットがなければ今でも厚手のウールコートかオイルジャケットを着なければならないのだ。

その昔に、ハンターや漁師たちが着ていたオイルジャケットやダッフルコートなどは、丈夫で強いが重い。全てにおいて100点満点な物などは一つも無いのだが、まあまあな物は、世の中に沢山ある。

そんなことを考えると、ダウンジャケットは満点に近いものである。軽くて暖かいものを誕生させた事は、当時の世の人々を随分喜ばせたに違いない。

これは約40年ほど前に家内が着ていたものだが、現在は次女が着ている。

ダウンジャケットほど満点に近い優れたものでも、やはり劣化は否めない。年月が経つにつれ羽毛が抜け、洗濯やクリーニングをする度に保温性が薄れて来るのである。

この当時のホワイトグースは特別なのか、クリーニングにあまり出さなかった事が正解だったのかは分からないが、このダウンジャケットはまだまだ活躍してくれそうである。

https://eddiebauer.jp/eb/eb.aspx エディーバウアー公式ページより

エディーバウアー氏が、真冬でも釣りに行くほど「釣りキチ」だった事に、全人類は感謝しなければならない。

少し大げさではあるがダウンジャケットの発明は、間違いなく世の中を変えた物のひとつである事を、ご理解して頂けたと思う。

「F」Filson

アメリカを代表する「F」と聞かれれば、もちろん『フランクシナトラ』という方が多い事であろう。

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イージーリスニングの王様であり、ジャズボーカルの神様、アメリカ史上最高のエンターテイナー、ラスベガスのキング、ビング・クロスビーに並ぶクリスマスソングの定番中の定番、誰でも一度は耳にした事があるであろう。

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クリスマスには、ニューヨークの5番街、いわゆるフィフスアベニューのブルックスブラザーズの店の前に車を横付けにして、車が満載になるほどプレゼントを買った話は有名で、ブルックスブラザーズのナンバーワン顧客であったはずである。

なのにそこに触れないのは少し変ではあるが、アメリカの歴史なども考えてみると『FILSON』を外す事が、どうしても出来なかったのである。

シナトラさんの事は、いつか別の機会に是非、書きたいと思う。

さてFILSONについてである。

アメカジ、アウトドアー好きの方はご存知だろうが、知らない方にとっては、何が凄いのかよく分からないと思うので、まずはアメリカの歴史を復習してもらいたい。

EDDY

アメリカの歴史は東から西へ、ゴールドラッシュだったよね?

1896年に、クロンダイクゴールドラッシュが始まった。正確に言うと、カナダのユーコン群州クロンダイク地方にてそれは始まった。

1896年8月にクロンダイク地方で金が発掘されたのだ。"一攫千金" を狙う男たちはみな、その情報を聞き逃さなかった。

ウィキペディアより引用

アメリカの昔の労働者は、馬を連れて牛を飼い牧場をやるカウボーイスタイルと、金鉱を当てて一攫千金を狙うワークマンに大きく分けられる。どちらも男の中の男なのだが、カウボーイのほうが少し洒落ていて、センスもよさそうだ。一方のワークマン達はドロドロでボロボロな感じがする。

なんせ力も必要だしハードな仕事なので、多少高くてもそれに耐えうる "丈夫な服" でなければ話にならなかったはずである。かなりの丈夫さが求められたであろう。

ウィキペディアより引用

1850年生まれのC.C.フィルソン氏はネブラスカに家を構え、鉄道の車掌として国を歩き回った後、1890年代に、ワシントン州シアトルの小さな町に引っ越しました。

EDDY

何故、フィルソン氏はシアトルに越してきたのか??

実際に、このゴールドラッシュの話が知れるとシアトルはもちろん、サンフランシスコから、いや全米から "一攫千金" を狙う男たちがやって来たのである。

ゴールドラッシュで出来た町「ドーソンシティー」は、一時3万人にまで膨れ上がった。実際には10万人以上の男たちが、この地を目指し挑んだが、金を採掘し幸運を手にできたものは4,000人程度であったそうだ。

フィルソン氏はこのゴールドラッシュを目指す人々の為の「丈夫で頑丈な服」が必要と知り、このタイミングに合わせたかのように1897年にFILSON,CCを創業するのである。

https://www.filson.com/blog/materials-and-gear/history-of-the-tin-cloth-cruiser/ FILSON公式ページより

彼はすでに工場を所有していて、マッキノーウールの衣類と毛布、ニット製品を製造し、極寒地の為に特別に作ったブーツ、靴、モカシン、寝袋を販売した。販売後も顧客と緊密に連絡を取り合い、顧客のニーズを満たすために、常に商品開発をし、見直し改善もした。

King of Vintageより引用

この古着を見るだけで、どんなに過酷な仕事だったのかが想像できる。Filson社が作り出す独特のコットンダックは今も尚、現役で使用できるらしい。

つまりどんなに快適な素材や化学繊維の丈夫なものでも、過酷な仕事に耐えるという事とは別物なのだと思う。

こちらは、私物のFILSON ブリーフケースだ。

アメリカの空港でも持っている人をたまに見かけるが、皆かなり酷使している様子だ。私はまだまだ使う頻度が少ないが、かれこれ20年以上は使用している。ベルトはレザーで丈夫なのだが、重たいものを入れて仕事で歩き回ると肩に刺さるため、他のバッグから布製の物を外して付け替えた。

しかし何と言っても「FILSON」といえば、マッキーノクルーザーが代表なのではないかと私は思う。

写真はダブルマッキーノ。シングルもある。

ダブルマッキーノは、胸のポケットから上の肩、袖、背中の部分が、厚手のバージンウールの同じ生地で、二重になっているのである。

まあ重い事この上ないのだが、ラギットと呼ばれるアイテムの中ではチャンピオンなのではないだろうか?30年以上着ているが、あと100年以上は着れそうである。焚火の時と冬キャンプには欠かせない。

フィルソンのアイテムで、「フィッシィングベスト」や「フィールドコート」も忘れてはいけないアイテムである。

これは以前のアメカジでのブログで使用したものだが、この中に、フィールドコートとフィッシングベストが写っているので確認して頂きたい。

フィルソンが凄いと思う一番の所は、入手可能な最高の素材から商品を作り続けること。そしてすべての商品を保証してきたこと。

顧客が必要としたとき在庫していなかった場合、その顧客のためにそれをカスタムメイドしてきた事などである。

常に客目線でありながらも、自身の信念を曲げずに、ある意味頑固に、スタイルを崩さない姿勢には矛盾も感じるのだが、このブランドを支持する人々が彼らを裏切らないことも頷ける。それだけ優れているという事なのだと思う。

ゴールドラッシュという、アメリカを作り上げてきた歴史を支えた衣料として、フィルソンは外せないのである。

まとめ

今回は、D:「デッキシューズ」E:「エディーバウアー」F:「フィルソン」をご紹介した。

この三つのブランドに共通する事は、決して流行りモノや単なるファッションだけのモノではなく、趣味や生活の中から、必要性や快適性を求めたアイデアの元に生まれて来た物である。

ゆえに100年以上経った現在においても尚、一般ユーザーからも必要とされ、今現在もブランドが存続しているのである。

このブログから少しでも、皆さんが物を選ぶ知識を身に付け、多少高くても長持ちする様な、本物を見極める目を養って頂けたら幸いです。

最後までこの長い文面にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。

multiple

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