アメカジ ヨット昔話 音楽 ファッション アメリカ 連続小説

連続小説「Sail boat and my life」第十話 今の暮らし

私はメイン州ポートランドのレストランで、ハナさんと八五郎さんに出会った事で、人生そのものが変わったのかもしれない。

もうすぐクリスマスがやってくる。もちろんこの小さな島にもクリスマスはやってくる。街中のあちこちに大小のリースやツリーが飾られ、派手な電飾が街中を明るく彩り、この古い町並みをさらに演出してくれる。

ホテルではビングクロスビーや、ナットキングコールのクリスマスソングが流れ、ビーチサイドではスラックキーギターとスチールギターとウクレレで、ハワイアン風のクリスマスソングを誰かが陽気に演奏している。

もちろんハワイのような気候の良いところではなく、北海道と似た気候なので、この時期は寒さの極みだ。

さて私はこの田舎街から10マイルほど南東に下った湾のはずれのボートハウスで暮らしている。

ボートハウスでの暮らしは、意外と私のようなその日暮しの人間を怠け者にはさせてくれない。

朝7時には、1950年代のものと思われる日本製のラジオのチューナーを天気予報に合わせ、気圧、温度、風の強さと風向と波の高さを知ることから朝が始まる。

ベッドから寝たままの状態で窓の外を眺めると、朝陽が海面を照らしブルーのようなグリーンのような、なんとも表現の出来ない少々神秘的な素敵な朝の海を眺めることができる。

2マイルほど離れたビーチには、子供が寒いのに海で騒いでいる。

私はベッドから体を起こし、ネイビーブルーのトップサイダーのデッキシューズを必ず左足から入れ、ウォールマートで購入したヘインズの3枚パックの霜降りのグレーのTシャツをやはり左袖から通しながら、ラジオのチャンネルをカントリーチャンネルに切り替えるのである。

それにしてもデッキシューズといい、Tシャツといいかなり年期が入っている。

デッキシューズはネイビーというよりは、グレーに近いのではないだろうか?

セーリングに行く時も、スーザンばあさんのスーパーに買い物に行く時もすべてこの靴。いつも靴の中が汗と海水でグチュグチュになっていてる。

あまりにひどくなると公園の水道でデッキシューズを洗い、その場で直射日光にて乾燥させ、その間だけは八五郎さんから譲り受けた雪駄に履きかえる。

この雪駄というやつは、日本製の最高のビーチサンダルなんだと、八五郎さんは生前に熱く語っていた。

Tシャツは地元を出てくる時に8パックほど購入したがもう全てボロボロで、ほとんどのTシャツの襟首が取れかかっている。

まさにビンテージである。全部で24枚あったはずのTシャツも数えてみると6枚だけになっていた。

その他のお古はすべて船やエンジンのメンテナンス用のウェスになってしまった。

「マイティー、調子はどうだい?今日も海に出るのかい?」

毎度お馴染みの挨拶をしながら、ポストマンが私に1通の葉書を渡してくれた。それは家族からであった。

私の別宅はアメリカ東海岸のニューイングランド地方に位置する、フリーポートという田舎町である。

L.L.Beanの本拠地があり、ボストンからは約2時間半ほど北上した位置にある。

海と山と川があり大自然に恵まれていて、全米各地から人々が集まるバケーションランドである。

私の家の付近は、ロブスターの看板が目立ち、観光客をその気にさせる場所でもある。

私は自信を持って別宅と言っているが、もちろん本宅である。

このさびれた町のオンボロなボートハウスが私にとっての本宅であり、フリーポートの家は妻と娘達3人にとっての本宅なのである。

特別夫婦仲に問題がある訳ではないのだが、妻たちはフリーポートに住み、私はこのボートハウスで暮らしているのである。

私の妻は日本人の両親を持つ純粋なアメリカ生まれの日本人で、彼女の祖父母は東京で暮らしている。

彼女の名はEmari、日本語では”えまり”とひらがなで書くそうだ。

趣味は朝のウォーキングに読書、そしてパッチワークに陶芸に神社仏閣参り。

アメリカで育ったが、ほぼオールジャパンの暮らしを好んでいて、今も週に1度はハーバード大学の研究室で日本文学を研究している。

そんな彼女のことを彼女の父親は「えまり先生」と呼んでいる。

彼女の父親もまた教師で、アメリカでは軍人や警察官に格闘技を教えていた武道の達人である。

彼女の母親はアメリカで生け花を教えていて、まさに日本代表のような家庭で育ったのだ。

第11話に続く

multiple

-アメカジ, ヨット昔話, 音楽, ファッション, アメリカ, 連続小説

Copyright © IVYandLIFE All rights Reseved.