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アメリカ「A to Z」 S・T・U編

【アメリカ A to Z】と題して、A~Zまでの頭文字で一つずつ、アメリカのモノ、ブランド、人物などをご紹介しています。「アメリカ」「アメカジ」好き親父の嗜好の強い内容となっておりますが、今回は、S、T、Uについて書いてみたいと思う。


目次

  • 「S」Superman
  • 「T」Timberland
  • 「U」U.C.L.A.
  • まとめ

「S」Superman

”Superman" は、アメリカン・コミックスに登場する架空のスーパーヒーローである。

今の若い人達は知らないかもしれないが、当時の少年達はみな空を見上げてこう叫んだものだ。

『空を見ろ! 鳥だ! 飛行機だ! いやスーパーマンだ!!』 と。

当時の少年達はヒーローに憧れて、悪い奴らを退治することを夢見ていた。マントを纏い、真剣に空を飛ぶ事が出来ると信じていた。

私も朝学校に行く時には、一生懸命走ったものだ。真剣にスーパーマンになれる、なると信じていた為、なれない事を知った時はかなりのショックであった。

EDDY

ところでアクションコミックス知ってるかな? アクションコミックスはDCコミックスが出版している漫画雑誌のことだよ

アクションコミックス誌の第1号からスーパーマンは掲載されたのだった。

1933年の1月、オハイオ州クリーブランドに住む高校生二人が、””The Reign of the Superman"という物語を作り上げた。

グレンビル高校に通う二人の高校生、ジェリー・シーゲルジョー・シャスターである。

ウィキベディアより画像引用

ストーリーを、ジェローム・ジェリー・シーゲル(本名)。

そんなビルダンを美男として、イラストを提供したのがジョー・シャスターであった。

ストーリーも内容も、二転三転しながら主人公のスタイルが変わり、ヒーローものになり、1934年に現在のスーパーマンの原型になるのである。

最初のストーリーは、邪悪な科学者に騙されて実験薬を何度も飲まされ、その薬が彼に特殊な力を与えた。主人公であるビルダンはこれを悪用し、好き放題にやるのだが、結局は薬がなくなって、ただの浮浪生活者になってしまうという様なストーリーである。

なんだか全然カッコよくない、スーパーマンだった様だ。

私が子供の頃はまだスーパーマングッズがなかった。現在であればマグカップからランチボックス、Tシャツ、なんでも揃うが、当時の少年にはそんなキャラクターを応援するグッズは一つもなかったのである。

唯一あったものは、かるたやメンコ、アルマイトでできた子供用のお弁当箱であった。

Aucfree オークションサイトより引用 https://aucfree.com/items/n440920500

TV放映は1953年9月から1958年の4月28日までで、私はまだこの世には誕生していないのである。

けれども強烈にスーパーマンの信者であった。何故だろう? 長屋の子供達はみなマントを背負って両手を斜め45度に空に向けて走り回っていた。

メンコに関して言えば、代々兄貴分達から受け継いでいる為、上の画像の様に綺麗な状態ではなく、かなりクタビレていたものである。

大人になれば熱が冷めるかと思えば、今度はスーパーマンの昔のコミックに興味をもつことに。

当時の色がとても好きで上手く表現できないが、カラー印刷の悪さがカッコよく、ヒーローをさらに盛り上げてくれるのである。

https://www.hipcomic.com/listing/superman-201-original-vintage-1967-dc-comics/6566852  HIp Comicから引用

子供の頃にはハッキリとしなかったが、主人公のクラークケントは頼りなくて弱々しく、でもひとたび事件が起きると、ヒーローになって大活躍する。

子供達にとっては歯がゆく何とも言えない辛さもあったのだが、悪者をやっつけてくれると、凄くすがすがしい気持ちになった。

そして子供ながらにクラークケントの装いがなんともかっこよく見えていたのだ。

まだTRADもIVYもアメカジも知らないハナタレ小僧が、何となく外人はセンスの良い服装をしていると思ったものだ。

EDDY

主人公のクラークケントを少しだけ説明するね

クリプトン星から小型ロケットで地球に向けて赤ん坊が送られてきた。なんともかぐや姫っぽい話なのだけれども、その少年はアメリカのカンサス州のスモービルに着陸?飛来と言ったほうが正しいかな?

おじいさんとおばあさんではないが、ジョナサン・ケントとマーサ・ケント夫妻に拾われて、そこでクラークケントとして育てられる。

その後はみんなが知っている通り、自分がパワフルで凄い力を持っている事に気づき、ヒーロとして成長する。デイリープラネット社で新聞記者になり、スーパーマンとクラークケントの一人二役を演じるのだ。

クラークケントがスーパーマンに変身する時に使う公衆電話ボックス、はたして現在ならどこで変身するのだろう。

2009年にニューヨークの公衆電話がなくなる時に、クラークケントが隠れる場所がなくなると騒がれたのも、まんざら大げさではないのだ。

子供の頃には、ただカッコイイおにいさんと思っていたクラーク・ケント、今思えばかなりのアメリカントラッドであった。

当時の事ははっきり覚えてはいないが、スーパーマン・リターンズでは、ボタンダウンシャツにレジメンタルタイにウェリントン眼鏡。

ブルックスブラザースではないか、と思える正統派のアメリカントラッドな装いは、アイビートラッド好きな皆さんは、思わずニヤッとしてしまいたくなるであろう。

当時、VAN命であった、みゆき族と呼ばれた若者たちには、クラーク・ケントはどのように映っていたのだろうか?

写真はジョナサン・ケント演ずるケヴィン・コスナーと、子供の頃のクラーク・ケント。そしてフォードのトラックが最高にアメリカを感じさせる。

スーパーマンはアメリカのヒーローである事は間違いない。しかしこの映画はアメリカのカッコ良さを痛感できるバイブルとして「アメカジ映画」と私は呼びたい。

「T」Timberland

Tから始まるアメリカブランドは、有名で歴史のあるものもある。Tiffanyであったり、TIMEXであったり、THE NORTHFACEであったり。

どれも書きたくなるような大好きなブランドであるが、あえて「Timberland」にした。

それは、私がサラリーマン時代に深く関係したブランドであるからである。

歴史や会社の成り立ちや一般的なブログでありがちな内容は、他のブロガーさん達に任せることにした。

1987年2月、日本製靴株式会社(現リーガルコーポレーション)と、THE Timberland world trading company(当時の社名)とが、Timmberland brandの輸入代理店契約を結んだのである。

日本製靴の歩みより 抜粋

古くはニューイングランドにて、モカシン系からブーツまで一貫してアメリカで生産していた。HAMPTONの文字が凄くまぶしかった。

現在は4代目になってブランドごと売却してしまった。当然、私が好きだったブランドではなくなってしまった。

1928年に初代のネイサン・ワーツがマサチューセッツ州ボストンで靴職人となり、1933年にはTimberlandの前身のアビントンシューカンパニーが設立され、技術革新を目指し現在の原型となるブーツの基礎を作り上げたのである。

Timberlandといえばイェローブーツ、と言うくらい世界中を驚かせたブーツが、シンサレート入り防水ブーツである。

現在はプリマロフトに変更しているが、当時はシンサレートが200g程入っていて、極寒でも耐久出来るスゴモノであった。

実際に冬山で遭難しかけた時も私はこのブーツを履いていて助かった、と言えば少し大げさに聞こえるが本当に頼りになった。

もともとTimberlandは、ニューハンプシャーの極寒の土地に住む人々のために考案されたものであったのだ。

私が初めて知ったころのTimberlandは、アウトドアーの究極にあるシューカンパニーであった。いわゆる本物志向の人の為の本物だったのだ。

アイディタロッド犬ぞりレースで使用されたゴアテックスシンサレートブーツ

初代のネイサン・ワーツからハーマン・ワーツに代わり、ブランドネームであったTimberlandを社名に変更してハーマン・ワーツは現在の完全防水ブーツをつくりあげたのだ。

世界的有名な「アイディタロッド犬ぞりレース」で、ハスキー犬達同様に、Timberlanndの製品が、レーサーが直面する過酷な状況をから守った。

こうして世界のアウトドアーと冒険者を後押しするギアーとして、「世界最高のブーツメーカー」になっていくのである。

更に、ハーマン・ワーツから、兄であるシドニーに変わっていくと、製品が靴だけではなく、アパレルやアクセサリーにまで展開されていくのである。

当時のバッグを今でも愛用しているが、この頃のTimberlanndはアパレルからバッグやキャップ、小物に至るまで、全てにイェローヌバックレザーを使用していた。

今も愛用しているイェローブーツと同素材の防水レザーのハンティングバッグ、何もかもが本物志向のTimberlandは若者やアウトドアー派のオジサンたちを魅了させていた。

そしてTimberlandは完全なるアウトドアーブランドに成長すると誰もが思っていた。

代表的な品番に50009番があるが、これはクラシックキャンプモカシンとも呼ばれ、日本ではシブカジ少年達に、もの凄く愛用された。

紺ブレにティンバー、そんな若者言葉も流行した程だ。男の子も女の子も皆ティンバーランドを愛してくれた。

50009番にチノのフレアーノスカートにワンレングスのロングヘアー女子達はラルフローレンのポロシャツと一緒にコーデしていた。

ハンティングワールドのフィッシィングバッグをさりげなく合わせるのもその時代のおしゃれ女子の定番であった。

日本で爆発する前にイタリアでアメカジブームが起きたのだった。アイビートラッド路線が下降気味の時に、このイタリアでのブームが、シブカジブームに火をつけてくれたのだ。

夏はデッキシューズ、一般的にはトップサイダーが有名だが実際のクウォリティーは圧倒的にTimberlandの勝利である。

トップサイダーはアメリカズカップでデニスコナーを味方につけてヨットマン達のご用達になったが、東海岸のヨットマンはTimberlandも凄く愛用している。

当時のTimberlandは、セーリング用やレース用のカッパなどもあって、プロ好みの本物を作っていた。

私もヨットで履いているが、あまりにも汚れていた為、これは友人のものである。彼もヨット乗りで比較的新しいTimberlandを拝借した。

現在Timberlandはアメリカ製ではないが、モカ縫いの技術とこの面(ツラ)は今のトップサイダーには全く歯が立たないであろう。

話は戻るがあの当時、とにかく出るもの出るもの全てがガチガチの本物で、いつも興奮していた。

日本発のTinberlandショップは新宿アルタに、2号店を千葉のララポート、3号店を札幌に出店して4号店は神戸に出店、とにかくお金をかけた店だった。

4号店の頃は私は現在の貿易屋になっていたが、神戸の震災が起きた時には後輩が、神戸のTimberlandの店長をやっていたので、凄く心配したものだった。

その後、日本製靴の子会社がTimberlandを世に多く広めていくのだが、社内の人事の変更にともない契約も切れてしまう。そして当のTimberlandも、ブランド自体の方向性も変わっていってしまうのである。

ボストン周辺の黒人のラッパー達が、ダボダボのTimberlandの服を着てラップを歌い、日本でも宇多田ヒカルがイエローブーツを履いてオートマティックを歌い、アウトドア路線からかなり外れていくのである。

渋カジ達が愛用してくれた頃までが私のTimberlandの思い出だが、全くアウトドアにもアメカジにも関係のない街着で履かれるようになった。

無骨な、がちがちの本物志向のTimberlandだったのに。。。

とても思い入れのあるTimberlandが、またいつの日か、本格アウトドアマンを満足させてくれる様なアイテムを生み出す、アウトドアーメーカーに戻ってくれたら。と言うのが、私の本音である。

「U」U.C.L.A. 。

IVY命の先輩達の教本となったのは「MEN'S CLUB」という雑誌。もちろん我々もそうだったのだが、私が18歳の夏に「POPEYE」なる雑誌が創刊になった。

高校を卒業し親元を離れ、自由な世界。青春がはじまる、まさにそんな時だった。ポパイをすんなり受け入れた我々世代は、スポンジが水を吸い取るように、なんでもポパイから吸収していった。

UCLAUniversity of California, Los Angeles)カリフォルニア大学ロサンゼルス校もその中のひとつだった。

世界大学ランキング4位のカリフォルニア大学バークレー校(CAL)も有名だったが、「UCLA」という響きが断然私達を虜にさせた。(UCLAは15位、ちなみに東京大学は73位)

東のケッズ、西のコンバース。IVY少年たるものは東海岸であるべき、メンズクラブの信者達はみなそう思っていたに違いない。

アイビーの洗礼を受けた先輩達はジョギングシューズなんかは履いていない。だが我々ポパイ世代は、こっそりコンバースもカッコイイと思っていた。

(その翌年に小林康彦さんが書いた「ヘビーデューティーの本」もかなり西のイメージが強かった。)

そして気か付くとアイビーリーグよりも、西海岸の大学のほうがカッコ良いと思うようになっていった。

今では普通にどこででも見かけるUCLA、カルフォルニア大学ロサンゼルス校、チーム名はブルーインズである。

今であれば誰もが知ってる熊さんのキャラクター、にわかアイビー少年達は一気にぐらついた。

ハーバードから始まってエールやダートマス、胸に横一文字のロゴしか見たことがない私達は、この可愛いキャラクターを見て、なんて西海岸はカッコイイんだろうと思った。

すべてはポパイの影響である。ラガーシャツはSCENEで見慣れていたはずなのに、かっこよさがまるで違っていた。UCLAの学生たちはラガーシャツに短パン、ジョギングシューズで通学する。

アイビー少年が知ってるスタイルは、各自の大学のロゴ入りトレーナーかボタンダウンのシャツを着て、オックスフォードのキャンバスのスニーカーかローファーかデザートブーツで通学する。

それはそれで凄くかっこよいのだがとにかくUCLAの学生スタイルには驚かされた。

さて話が、かなりポパイ寄りになってしまったが、UCLAは1881年3月に教員養成を目的として設立された公立大学である。日本でいう教育大学的な始まりであった。

現在は完全な総合大学で、常に何かに取り組み、常にキャンパスは何かを建設中であったりする為、Under Construction Like Always(UCLA)などとも、揶揄されている。

なんせ全米の中でも教育施設はとてもすごい設備を有している。有名なのはパウエル図書館で800万冊以上の蔵書がある。1884年に建設されUCLAのシンボルとされている。日本ではありえない環境がここにはある。

試験期間中には、なんと24時間開放されていて、泊まり込みで学生達は勉強するのである。そしてさらに驚きなのが昼間であれば、一般人の入館も制限なく利用できるのである。

ウィキベディアより

西海岸のハーバードと呼べば怒られるかもしれないが、なんせ全てにわたって優秀であることはみんなが知っての通りである。

25人のノーベル賞受賞者を輩出し、USNEWSのベストカレッジ2021では全米公立大学1位である。230人のオリンピックメダリストを輩出して、138回のNCAAの優勝も獲得している。

またインターネットはここからとも言われ、インターネットの誕生の地とも言われているのである。

とにかく何につけても凄いのであるが、それをすべてここに書きだすには一日では無理なので、アイビーアメカジファンの為に、カレッジスポーツについてのみ説明したいと思う。

チームカラーは、UCLAブルーUCLAゴールド。このサックスブルーのようなカラーに山吹色風のゴールドが最高で、当時のにわかアイビー少年達はすぐになびいてしまった。

熊さんにUCLA、とにかくデイパックからトレーナー、ウィンドウブレーカー、なんでも揃えたくなったものだ。

アメフトのスタンフォード大戦は、大学の試合とは思えないほど全米のアメフトファンが注目する。

そしてそれ以上に、注目されているのがバスケットボールである。ジョン・ロバート・ウッデンを知らぬ指導者は "もぐり" と呼ばれるほどだ。

彼は「コーチの神様」とも呼ばれ、彼がコーチした13年間で10回の全米優勝を飾っているのである。

NBA史上最高のセンターと言われたマジック・ジョンソンに、レイカーズの黄金期を築いたカリーム・アブドゥル=ジャバーは、UCLAブルーインズ出身である。

いかにUCLAがバスケットに優れているかは、これを見れば一目瞭然である。

背番号

11(ドン・バークスデール)

25(ゲイル・グッドリッチ)

31(エド・オバノン)

32(ビル・ウォルトン)

33(カリーム・アブドゥル・ジャバ)

35(シドニー・ウィックス)

42(ウォルト・ハザード)

52(ジャマール・ウィルクス)

54(マーカス・ジョンソン)

1946年から1977年までに10人の選手の番号が、永久欠番になっているのである。

ウィキベディアより引用

左がジョン・ロバート・ウッデンでバスケットコーチの神様、当人もパデュー大学時代にオールアメリカンに3度選ばれている。

右がゲイル・グッドリッチ、UCLA卒業後はレイカーズでプレーして、33連勝記録した時の主力選手であったことはアメリカ人であれば誰もが知っていることである。

それにしても、コーチと選手がアイビースタイルなのは最高である。

七三にボタンダウンにアワードジャケット、あまりにもカッコよすぎる。ジョン・ロバート・ウッデンコーチも、ツイードのジャケットにネクタイ、どう見ても3つボタンの段がえりに見える。

UCLAの人をアイビースタイルと呼ぶのは失礼であろうか。東海岸では「You look like a old IVY school student」と言い、アイビースタイルとは言わない。そう呼ぶのは日本人だけのようである。

まとめ

スーパーマンは永遠のヒーローである。だが昨今のヒーローブームは少々行き過ぎで破壊が目立つ。

悪の言い分や悪にも分があるなどの難しい表現ではなくて、やはりシンプルに正義の味方と悪者の関係であってほしい。

できれば物もあまり破壊せず、悪も殺さず不殺活人であってほしい。

今のスーパーマンが凄いのは認めるが、昔のようなやさしさを感じることができない。ヒーローは善人にも悪人にも、愛をもって接してほしいものである。

Timberlandについては企業の生き残りでもあるため、個人的な要望は簡単には言えないのだが、本物を本物のシーンで使える事に誇りを持っていた先人の思いを忘れないでほしいと思う。

そしてUCLAに関しては、ファッションを通してしか、この大学を見てなかった事に、少しだけ恥ずかしさを感じる。それでもブルーインズのひょうきんで可愛らしい熊を見ると、なんとなくホッとしてしまうのは、私だけであろうか。

アメカジの代表的なこのブランドマスコットは、次の世代のアメカジファンにも伝えていきたいものである。

また今回も長々と、最後までお付き合い頂きありがとうございました。 

感謝

multiple

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