アメリカ アイビーファッション ファッション

東海岸の古き港町から学ぶ、夏のアイビースタイル。

How about "IVY"

アイビーの聖地ケープコッド、アメリカの東海岸に訪れて感じたこと。まさに、アメリカ東海岸の歴史ある街こそ「サマーアイビー」の名にふさわしい場所であると私は思う。



目次

  • 夏のアイビーファッション、"サマーアイビー"。
  • サマーアイビーの主人公は、JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ) だった。
  • JFKについて、ちょこっとだけ。
  • CAPE COD(ケープコッド)に、行ってみた。
  • 実際に訪れて感じたこと。
  • 本当の意味での、トラディッショナル。
  • 東海岸の歴史ある港町こそ、サマーアイビーのテーマポイント。

夏のアイビーファッション、"サマーアイビー"。

昔のアイビーブームには、"サマーアイビー" と呼ばれるものがあった。T.P.O.の考えに基づき、春夏秋冬、その季節の素材のファッションをしようというものである。その中の一つ夏のファッションが "サマーアイビー" で、マドラスチェックやバミューダパンツが代表的なアイテムだった。ネクタイをするならばニットタイ、白のオックスフォードのボタンダウンシャツがこんなに素敵にみえるのもこのサマーアイビーのシーズンである。

ノーネクタイであれば、プルオーバーのオックスフォードにマドラスのジャケットを羽織り、裸足でトップサイダーのデッキシューズを履けば、本気度100%の東海岸のヨットマンのちょっとした正装である。旧アイビー学生風であればシャツは洗いざらし、ヨットクラブなどでクラブハウスのパーティーや式典などには、シャツもバミューダもプレスをしてシャツはインをする。

とくに東海岸においての着こなしは、大人と学生の差はかなりはっきりしている。ただし、これを生活提案型服ではなく、ファッションとして楽しむ場合には、洗いざらしのオックスフォードのボタンダウンシャツにシルクのニットタイをゆるめにするのである。

ジャケットもノンプレスであわせてバミューダも洗いざらしで履き、まるで昔のTAKE IVYに出てくるプレッピー風の井出達もありなのだ。なぜならばファッションであることと、リゾートであるから良しとするところでもあるのだ。

サマーアイビーの主人公は、JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ) だった。

アイビーブームを築いたヴァンジャケットは、「ケープコッドスピリット」として打ち出し、真夏のアイビースタイル、"サマーアイビー" を確立した。ケープコッドが選ばれたのは、主人公がJFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ)、であった為に他ならない。。ケネディーはアイビーリーグのハーバード大卒、そのケネディーの避暑地がケープコッドのハイアニスにあるのだ。

ケープコッドは、マサチューセッツ州のバーンスタブル群の7つの街の中で、一番栄えている街である。ボストンから2時間ほど南に下った鉤状の半島で、観光名所であるハイアニスはケープコッドの中心的な街であり、漁業と運輸業で栄えた街である。

マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、メイン州などの海に関わる場所のモーテル、ホテル、観光案内にはかならずケープコッドの ‟トラベルガイド‟ がおかれているのである。

観光ガイドをめくるとケープコッドのマップがでてくる。見どころは沢山あるが、ここから望く太陽は言葉では表すことができないほど感動なのだ。JFKが愛した街はここだけではないのだがJFKファミリーがこの地を選ぶ理由は理解ができる。

強い風が吹きヨットマンには最高の場所である。またローカルなヨットハーバーは手つかずの自然が残っている。東海岸にはそんな場所が多く存在するのだ。

ハイアニスからはマーサスビ二ヤード島やナンタケット島へのフェリーも出ている。この辺りは、鯨ウォッチングでも有名で全米だけではなくて他国からの旅行客も多く訪れるのである。

このエリアは、かの有名な冒険小説、白鯨の捕鯨基地があった場所である。

ケープコッドには名産が多くあるが東海岸エリアで一番有名なのはポテトチップスである。ボストン周辺やニューイングランド地域では、どこのスーパーでも必ずと言っていいくらい売っている。

いろんな味を楽しめるのだが、塩味はカルビーのポテトチップスより少し塩辛いと思う。だけど地元ビールには最高の友である。

ケープコッドと言えば、お金持ちの別荘があり夏は良い風が吹き、冬は極寒。つまり避暑地としては最高の場所。夕日がきれいで、海を照らすケープコッドの灯台は見事なほど美しい。当然のようにパッケージのデザインは灯台になるのである。たまに帰国する時に御土産で買って帰るが、なかなか食べようとしない。友人や家族は声をそろえてパッケージが良いという。そんなデザインもアイビー大好き少年にはたまらないのである。

JFKについて、ちょこっとだけ。

アメリカ第35代大統領

生年月日:1917年5月29日

出身地 マサチュウセッツ州ブルックライン

43歳という若さでカトリックで初の大統領となる。

実際にディンギー乗りであり実力もすごいものであった。1936年にスター級の大会で優勝(Nantucket Sound Star Class Championship Cup)、1938年にはハーバード大学ヨット部として東海岸大学選手権(MacMillan Cup)でも優勝もしている。ケネディー兄弟がヨットレーサーだったことはあまりにも有名だ。

EDDY

ファッションリーダーとしても、注目されていた J.F.K. ヨットの実力、ファッション、アイビーリーグ卒。主人公になるにはうってつけの人であった。

CAPE COD(ケープコッド)に、行ってみた。

ケープコッドは、私が普段アメリカで仕事をしているところから南に2.5時間ほど下ったところにある。ボストンから南下して行くとケープコッドの標識が何度も登場する。ケープコッドのハイアニスには現在もJFKハイアニス博物館がある。アイビーの神様にこれから会えると思うとドキドキしてしまうのだ。この日は雨ふりで少し前が見にくい。93号線から3号線に入り南下する。

とにかく3号線に入ったら次は6号線を目指す。この日は雨なので残念ながら、景色は今一つであった。相変わらずお巡りさんが6号線を流しながら測定している。この道は急に車が減ってくるので気分も良くなり、つい飛ばしたくなる。

多くのドライバーは、おまわりさんの餌食になっている。自分もスピードを出すほうで、この時も一瞬 "やられた、捕まった!"と思いビビったが、そんな私の車をかるく "ヒューン" と追い越して行った、スピード違反車を捕まえていた。セーフ!!ほっと溜息が出たのである。

雨が降るとなかなか前も見にくくなり、つい、看板を見落とすことも。とにかく6号線に入ればすぐだ。6号線とハイアニス方面の看板が見えてきた。看板の先を走るとサガモアブリッジがある。ここまで来るともうすぐなのだ。この橋から眺める海へと続く川は、とにかく綺麗だ。川を走るボートが列をなしてになるのだ。この先に、JFKが愛した港があることを想像するだけでにやけてしまう。ハイアニスについたらまずはヨットハーバーに寄ることにした。

この辺は、日本のような近代的なコンクリート壁のヨットハーバーではなく、自然をそのまま生かしているのである。近隣の家なども、絵になって素敵なのである。普段見ているケープアンやロックポートと比べると、どんな感じなんだろう。そんなことを想像しながら港へ向かった。

正直、想像よりは少し残念であった。普段見ているロックポートのほうが圧倒的に昔のままで港町らしいからである。しかしながらこの海でJFKがセーリングしたこと、アイビースタイルでヨットに乗ってたこと、そんなことを考えるとますますJFK=アイビー=サマーアイビーの図式が完成する。次は、ハイアニスの街を少しだけ探索して、JFK宅を探すことにした。

ミュージアムはハイアニスのメインストリートにあってすぐに分かる。ここではあえて裏手の写真を載せた。なぜなら表にはJFKの銅像があり観光客がみなで写真を撮りまくっていてIVY風なイメージから外れて行きそうだったのだ。

ハイアニスJFK博物館

この博物館にはJFKの写真が多く展示せれていて、またアメリカズカップの当時の映像なども見ることができる。とにかく展示写真には感動するのだ。JFKが愛したジャクリーンとの思い出、娘キャロラインとの思いで、ケネディー家の思い出、ケネディーに興味のない方でも、このライフスタイルの「かっこ良さ」には敬服してしまうだろう。

現在はなくなってしまったが地下には、ケープコッドリーグの野球殿堂が2017年までここにあった。

ケープコッドリーグの歴史はかなり古く1885年からである。1930年ころから大学、地元クラブ、そして確かメジャーまでもが、夏場に限って試合が行われたはずである。ケープコッドリーグで活躍した選手はさらに各球団にスカウトされて実績を残し、ここにバットやグローブ、サインボールが展示されていた。

野球ファンであれば、それだけでも価値がありそうだったのに、残念である。

これがケネディー家のファミリー写真。まるでラルフローレンのカタログのようだ。中央にいるのがJFKである。これはまさにアイビーの神様にふさわしい。足元はよく見えないが白のオックスフォードのプレントゥである。

よくホワイトバックスだという人が多いが私の見解では白い紐靴、表革の白だと思う。英国というかアイルランド風ともみえる。まさにラルフローレンの世界である。ブリティッシュの雰囲気を残したアメリカントラッドと呼べばよいのだろうか?夏は白に勝るものはないと表現しているようにも見える。

JFKがヨットマンで、いかに船と海を愛していたのかよく理解ができる写真だ。愛艇VICTURAはデイセーラーである。デイセーラーとは簡単にいえば寝泊まりしない海辺近くをヨットで散歩するような船のことである。そんな一般的な庶民が愛するヨットを一番愛していたらしい。彼の財力や大統領の肩書からすると、あまりにも貧弱に見えるヨットなのだが、本物のヨット好きにしか解らない世界なのである。

彼を皆が愛してしまうのは、こんな庶民感覚があるから、しかもセンスが良いからなのかもしれない。

この画像は世界的に有名だが、今でもヨットマン達の宝物画像である

JFKがいかに海を愛していたかは、ここにくれば一目瞭然である。多くの模型やロープワークの額など、海好きヨットマンにはたまらなくなるものが多く展示されている。ウッドのマストにウッドのブーム白い帆、そしてセールに印刷されているセールナンバー。すべてがかっこよい。こんな船をパッチワークマドラスのシャツを着て操船できたらJFKに褒めてもらえそうだ。

JFKが愛したVICTURAの模型も展示されている
たまたま入ったハイアニスの古本屋でなんとも言えないマップを発見

こうやって改めてこの島の先端を見てみると腕を曲げて力を誇示しているようにも見える。ケープコッドとは誰がつけた名称なのか?神からの恵みに感謝する岬なのかもしれない。その昔はメイン州から材木を運び鯨をとり鯨の油でランプのオイルにした。石油の代わりだったのだ。この島付近にナンタケット島があるが鯨の血で街がそまり、そんなところからナンタケットレッドと呼ばれるようになった。ラルフローレンやブルックスブラザースのパンツにもナンタケッドレッドをテーマにした品番が存在する。

実際に訪れて感じたこと。

私自身、信じてやまなかったが、実際は違っていたのである。J.F.K.が愛した港町の一つが、ケープコッドであった事に変わりはない。だがあまりにも日本人はアイビーブームの影響を受け過ぎていた。実際にヨットマンとしてそしてアイビー大好き少年として冷静に観察してみると、日本ファッション界が今でもJFKのことをファッションに取りだそうとする考え方は少し違うように思えた。

アイビーという物差し、アメカジ、アメトラという物差しでJFKを見るのではなくて、JFKという人のライフスタイルにおいてアイビーファッション風な服装が、たまたまそこのシーンに出てくることがあるだけだ。ということを忘れてはいけない。つまりCAPE COD SPIRITではなくて ‟CAPE COD STYLE" という表現が正しかったのでは???と思うのである。

本当の意味での、トラディッショナル。

私のいる場所から95号線で北上して128号線の分岐をさらに北上するとロックポートという古い港町がある。

ここにはJFKやポールニューマンが愛したYankee Clipper Innがある。そのホテルから1kmほどくだると、100年以上の歴史のあるヨットクラブある。その名はサンディーベイヨットクラブ1885年創立。アメリカという国が、いや欧米が、いかに海との繋がりが強いかということだ。日本だって海洋国家だけれども海洋少年団だっていつ頃できたのか?きっと海で鍛えられたサムライ達は多くいたとは思うが、何となくニュアンスが違うように思える。

1885年だから136年の歴史のあるヨットクラブだ。まさにこれを "TRADITIONAL" と言わずして何をトラディショナルと呼ぶのか? 我々ファッションに関わってきた者達が本当の意味でトラディショナルというものを知ったものは極々、一部であっただろう。ここでは多くの有名セーラーも輩出している。とにかく驚くことは、1885年にヨットで競争していたこと、そしてその競技を世に知らしめる努力をしてきたこと。戦争だとか兵隊だとかに関係なく、純粋に金持ちの娯楽遊びにヨット競技があった事が、とにかく凄いことである。またその競技のために小さいうちから子供を教育し、海を与えたことも凄いことである。

現在の建物は修理こそなされているが、1930年頃から基本は変わっていない。100年以上の歴史の中での、各ヨットクラブとの交流。ヨットレース、純粋に速さを競い合ったヨット競技。多くのジェントルマンを世の中に送り、今もジェントルマン精神とシーマンシップを叩き込むこのヨットクラブ、ここの実績は表象、優勝という結果と共にあるのだ。

数々の実績は、歴史の証拠である。こんなに清く素晴らしいカップはおそらく世の中にいくつもないであろう。サマーアイビーを探したことで我々は大切なジェントルマンの生き方と暮らしとトラッドスタイルを学んだかもしれない。

東海岸の歴史ある港町こそ、サマーアイビーのテーマポイント。

東海岸には古き港町が多く存在する。ケープアン、ロックポート、ニューベリーポート、セーラム、グロースターそこには海や船の歴史があり東海岸の暮らし方、質素で勤勉な、独特な考え方があるのだ。

Sandybayから望むヨットが美しい。

対岸には、家にボートハウス。そしてヨットが見える。ここが私にとってのサマーアイビーポイントなのだ。古き港町と、そこの人々の暮らし。驕ることなく品がある。昔から育ちも良くお金持であり、心も裕福である為、人に優しいのだ。

もちろん昔からここに暮らす漁師たちも多くいる。古くからの造船所があり、ロブスターを取る漁師たちも多く、自分達で船を直して沖に出るのだ。そこには育ちの良いアイビー風とは違うワークなアメカジのスタイルの親父たちがいるのだ。汗と油にまみれて船を修理して真っ黒に日に焼けた笑顔に、白い歯が覗くと海の男の世界を感じることができるのだ。

ここロックポート湾を見渡せば優雅に走る帆船を見ることができる。今でもスクーナーがゆったりと風を受け走っているのである。吹く風が変わらないから暮らしも、考え方も着こなしも変わらないのだ。ファションではなく、それがここのスタイルなのだ。サマーアイビーもウィンターアイビーもなく東海岸生活着がそこにあるだけなのだ。

今日もまた風が吹き、まるでここだけ時間が止まっているようである。

JFKも含めてここで暮らす人々が全てが、アイビーファッションの原点であったように思われる場所の一つである。アイビーなどという安っぽい表現は大変に失礼だが、あえてまとめるならば

アメリカ東海岸の歴史ある港街こそ「サマーアイビー」の名にふさわしい場所である。と私は思う。


※当ブログのアイビースタイル必須アイテムについて

まず初めに、アイビースタイル必須アイテムとしてご紹介していくものは、私の単なる見解とおすすめの着こなしに過ぎません。その昔のアイビーブームの頃の着こなしや話も書きますが、当時のブームの着こなしとは全く違う"別のもの"として捉えて頂きたい。

何故そんな表現をするかというと、日本がアイビーブームだった頃、私自身アイビーに憧れるアイビー少年だったからである。アイビー全盛期の世代の方々にとっては全然違うとお叱りを受けそうな内容もある事は承知の上で、アイビー世代の少し下の私の時代「アイビー少年の話」として各記事を楽しんで頂ければと思います。


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