【アメリカ AtoZ】と題して、A~Zまでの頭文字で一つずつ、アメリカのモノ、ブランド、人物などをご紹介しています。「アメリカ」「アメカジ」好き親父の嗜好の強い内容となっておりますが、今回は、G、H、I、について書いて行きたいと思います。
目次
・AtoZ 「G」 G.H.Bass
・AtoZ 「H」 Harvard University
・AtoZ 「 I 」Indian Morter
まとめ
「G」 G.H.Bass
『G.H.Bass』と言ってピンとくる方はあまり居ないのではないかと思うが、しかし『Bass』と聞いたら分かる方は結構いるはず。
そう世の中にこのブランドが無ければ、アメリカファッションの図式が変わっていた事であろう、と私は思う。
メイン州は、靴製造の歴史の地である。メイン州だけではなくマサチュセッツ州やニューハンプシャー州も靴製造の歴史的地である。
ジョージ・ヘンリー・バスのヒストリーは、アメリカの歴史の一部と言っても過言ではないであろう。
G.H.BASSは1876年にアメリカのメイン州ウィルトンで、ジョージ・ヘンリー・バスによって設立された。
それまで靴屋で働いていたジョージは、労働者が履く靴やアウトドアシューズの出来に疑問を持ち、自ら靴を作ることを決めたのだった。
メイン州ウィルトン出身の革タンナー(なめし職人)だったジョージ・ヘンリー・バスは、労働者とアウトドアマンに長持ちする靴を作ってあげたくて、いつもその事ばかり考えていた。
「可能な限り最高の品質の靴を作ること」それがいつしか彼の使命となっていったのだった。
1887年には彼の靴は世に広まっていた。そこでもっと生産効率を上げる為に、工場をファーミントンに移し水力機械を導入した。
20世紀初頭には、実用的で耐久性のあるさまざまなアウトドアシューズを開発した。
スキーブーツからゴルフシューズまで、スポーツおよびアウトドアシューズの権威としての地位を確立していくのだった。
最初のモカシンブーツは、もともと森で働く人のために設計されたが、第一次世界大戦の勃発で軍は寒冷地においての、パイロットブーツを探していた。
そこでBASSのモカシンブーツは寒冷地に適しているため、陸軍パイロットの公式航空ブーツになるのだ。
戦争が技術を革新して世界を変えていくとは正にこの事であろう。元々はワークブーツやアウトドアー用のブーツメーカーだったのだ。だからこそ究極に耐えられるブーツの提供ができたのだ。
しかしながら皆さんが知っている「Bass」は、下の画像のようなローファーであろう。日本ではコインローファーとかペニーローファーとか呼ばれていた。
私も若い頃は、甲の部分にアメリカのコインを挟めて履いていたものである。
本来は怠け者のことをローファーというが、靴のローファーの名称はネルトンが最初に付けたものであるという説が最有力である。
そしてローファーの元となるデザインは、ノルウェーの漁民達が作っていたノルウィージャン・フィッシャーマンズ・モカシンから来ていると言われている。
それで「BASS」は、「ノルウィージャン」から「ウィージュン」と名づけたのだろう。なぜ「ウィージャン」そのものにしなかったのかと言うと、当時インディアンは差別用語で「ウィージャン」と呼ばれていたので、「ウィージュン」にしたのではないかと言う説がもっともらしい。
デザインの起源は【ノルウェー】で、名称の起源は【アメリカ】という面白い靴である。
アイビーリーグの学生たちに愛されたことはあまりにも有名であるが、もっとも有名にしてくれた方はこの方である。はたしてそれがBassの物かどうかまではわからないが実際にローファーを履いている写真がある。
1930年代に「G.H.Bass&Co」は、時代を超えたシグネチャースタイルである「Bass Weejun」を誕生させた。
ブランドの人気が高まるにつれ、「G.H. Bass&Co」の靴は、飛行家のチャールズ・リンドバーグ、南北両極への飛行を成功させたリチャード・バード提督、米国第35代大統領のジョン・F・ケネディ、元女優でモナコ公国の公妃になったグレースケリー、皆さんお馴染みのオードリー・ヘプバーンやマイケル・ジャクソンなどが愛用することにより、その都度、大ヒットをもたらしたのだった。
このカタログを見てご理解いただけると思うが、1965年のカタログと同じデザインで今も生産している。残念なことに今は通常のWeejunsモデルがアメリカ製でないことがファンとしては辛いところではあるが。
アメリカ製でなくなって少し顔が変わってしまった。でも私の様なカナリの変態野郎でなければ、どこが変わったかが分からないほど出来は良いので、あまりそこは気にしないで欲しい。
メイン州のモカ縫いの工場で再生産した品番が、数年前にアメリカで復刻されたと聞いたのだが、今はもう見つからない。
それにしても、同じデザインを90年近くも生産し販売している事は、誠にもって凄いことである。
「H」 Harvard University
アメリカを代表するHといえば「Harley-Davidson」と言われるかもしれない。確かにそうである。しかしながら最古と言う事であれば「インディアンモータース」なのである。
そこでアメリカを代表するHは、やはり世界ナンバーワンの偏差値と世界で最も多くの著名人を輩出しているアイビーリーグの「Harvard University」とした。
アイビーリーグについては06/03/2021に、「IVYファッションとは、どんなファッション?」でも書いているので読んで頂ければと思う。
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IVY (アイビー) ファッションとは、どんなファッション?
続きを見る
ハーバード大学はマサチューセッツ州ボストンの隣の、ケンブリッジという街にあるアメリカ最古の大学である。
1693年の9月18日に招集されたマサチューセッツ湾植民地の議会で、学校創設のための資金を支出することが議決されたことにより創立された。
ケンブリッジに最初の大学を作ったということは、1636年のイギリス植民地時代から考えると、アメリカにケンブリッジ大学(英国のケンブリッジという都市にある世界屈指の名門大学)を作ったようなもの。
その3年後にジョン・ハーバードが遺贈した財産と蔵書をもとに、カレッジとしての活動が本格的に稼働し始め、【 Harvard College】という名称が用いられるようになった。
1782年の医学部設立とともにカレッジからユニバーシティ となり、1817年にはハーバードロースクール(法学教育専門機関)も設立された。
この写真は2015年にたまたま近くを車で走って時に撮ったものであるが、2019年に卒業する学生、つまり2015年の新入生の為の何らかの受付の風景である。
先輩達が後輩達の為にレジストの手伝いをしたり、部活動やサークルの誘いなどもやってるはずである。
ケンブリッジのエリアであるハーバードヤードには、1年生が住む寮やメモリアル教会、ワイドナー記念図書館、ロマネスク様式建築のセバーホールや、南北戦争の戦没者を祈念してつくられたメモリアルホール、科学の教育機関のサイエンスセンター、デザイン関係のガントセンターなどが存在する。
キャンパス内にあるメモリアル教会では、宗教関連の行事が開かれる。設立当初の目的は、社会と教会の指導者を育成する事となっており、ジョンハーバードは清教徒派の牧師であったこともあり、教育標語はヨハネの教えである「神とその子キリストを知る」であった。
ハーバード大学の卒業生がどれほど優れていて有名なのかは、ここで説明する必要はないほど皆さんはご存知だと思うのだが、少しだけ挙げておく。
先ずは俳優のマット・デイモン、ナタリー・ポートマン、トミーリージョーンズ、実業家では中退ではあるが、ビル・ゲイツやフェイスブック創設者のマーク・ザッカーバーグ、大統領も何人も輩出しているが誰もがご存知の名前を上げると、ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ、ジョ-ジ・ブッシュ、バラク・オバマとその夫人、そして我が日本国一番の代表者は、皇后雅子様なのである。
小生が初めてハーバード大学を知ったのは中学生の頃だったと思うが、映画「LOVE STORY」であった。ライアンオニールとアリマッグローのせつないラブストーリー。
シーンは大学構内であったり近くのハーバードスクエアーだったりした。アリマッグローは隣接しているラドクリフ女子大学(1999年にハーバードと合併して現在はラドクリフ高等研究所)の学生で、ライアンオニールはハーバード大学のアイスホッケー部のキャプテン。
アイビーファンなら気絶しそうなほどかっこよくて、一度はハーバード大学を見てみたいと思うはずである。
ハーバード大学はアメリカの誇りであり、ここで学んだことがステータスでもある。歴代の大統領達もそうであった様に、ツイードのジャケットにボタンダウンのシャツ、レジメンタルのタイ、グレーのパンツにBassのローファー、なんて姿の教授から授業を受けたのであろう。
HARVARDのロゴが入ったスウェットなどを着た学生たちは、政治や宗教やイデオロギーを階段の下で論じ合い、時には友や彼氏彼女が愛を語るのである。
「 I 」Indian Motorcycle
Hの代表はHARAVARDであったが、HはHarley-Davidsonもある。しかしながらIから始まるIndian Motorcycleはさらに歴史が古いのである。
ここにかかわる映画も面白いのだが、その前におそらくバイク好きでなければ全く興味がないような歴史等を最初に紹介するので、少しだけ我慢してお付き合い願いたい。
ついインディアンモターターズと言ってしまうが正しくは「Indian Motocycle Manufacturring Company」である。
ジョージMヘンディーは自転車レーサーで、ダートハーフマイルトラックで世界新記録を樹立している。彼が参加した309レースのうち302レースで優勝しているのだ。
1892年、ヘンディーは自転車レースを引退し、1895年にシルバーキング自転車の製造を開始した。
1896年、ヘンディー&ネルソンマニュファクチャリングカンパニーを設立して、安全自転車を製造。
1898年、資本金5,000ドルのヘンディーマニュファクチャリングカンパニーを設立。
1901年、最初の工場を設立し、原動機付き自転車を3台製造、翌年に143台のバイクを製造。
1907年、V型2気筒エンジンの製造を始め、1911年に「マン島ツーリストトロフィー」で1 ~3位を独占した。
1923年、「インディアンモーターサイクルマニュファクチャリングカンパニー」に社名を変更した。
ところで「マン島ツーリストトロフィー」って何?
正確にはマン島TTレース、つまりマン島ツーリストトロフィーレースが正しい名称だよ。
1907年からイギリス王室属国(Ire of Man)で開催されているバイクの競技のこと。公道を閉鎖して行なわれる競技で、2020年現在で240人以上の参加者が死亡しており、世界で最も危険な競技とも言われている。
1908年はジャックマーシャルが乗ったトライアンフが優勝したが、1911年より1周約60キロのマウンテンコースが採用され、その年に優勝したのはインディアンモトサイクルだったのだ。
インディアンのライダー、オリバーシリルゴッドフリー、フランクリン、ムーアハウスが1位、2位、3位でフィニッシュしたのだ。
「1912 Indian Board Track Racer 」
カルフォルニアオートモービルミュージアムにて展示されている。なんとなくマウンテンバイクのような雰囲気もするが、このデザインからかの有名な「Scout」という名車が生まれてきたのは、何となく分かるような気がする。
インディアンScout(スカウト)とは1920年から1949年にかけて作られてインディアンの最も重要なモデルとなった。
誰もが一度は耳にしたことがあるチーフとフォー、そしてこのスカウトが開発されなければ、バイクのライフスタイルは変わっていたかもしれない。
チャールズ・B・フランクリンによって設計されたスカウトは、ギアボックスがエンジンにボルトで固定され、ベルトやチェーンではなくギアによって駆動されたのだ。
フロントブレーキは1928年には初期のスカウトにも標準装備されてバイクの新時代を迎えるのである。
Indian Scoutと言えば何を連想するだろうか?アメカジファンであればこの映画を見ずしてアメカジを語るべからずというくらい、ファッションから生活感まで狂ってしまいそうになる程カッコ良い映画である。
と言いつつ、始まりの舞台はニュージーランドで、バイクに興味がない方でもこの映画は是非観て欲しいものだ。
スピード狂の爺さんがアメリカで行われる地上最速を目指すイベント「ボンネビル・スピードウィーク」に参加する物語なのだ。
題名は「世界最速のインディアン」
ストーリーは、63歳のバートマンローがニュージーランドの片田舎で、インディアンの部品を手作りしては改良を重ねて、砂浜でスピードに挑戦するところから始まり、ユタ州のボンネビルソルトフラッツで、世界最速記録を達成するまでが描かれている。
バートマンローを演じるのは「アンソニー・ホプキンス」、少し爺さんぽい役つくりが何とも言えないのだ。
マンローには、スポンサーがあるわけでもなくチームなどもない。資金に余裕などもちろんない。
最初は馬鹿にしていた日本でいう暴走族のにいちゃん達も出発の日に、みんなで集めたカンパを持って見送りに来るシーンも感動する。
ニュージーランドの片田舎の友たちに別れを告げ、金銭面に余裕がないためコックとして乗船する。
トラブルの連続なのだが、そんなものを跳ね除けてしまう持ち前の陽気さ、マンロー爺さんに魅了された周りの人達の影響で、レースの規則さえも変えてしまうという破天荒なところも見どころのひとつである。(この珍道中が恋愛もありで中々面白い)
そしてファーストラン、排気量850ccのインディアンで時速288.026kmの世界記録を打ち立ててしまう。5年後の1967年には、950ccにボアアップしたエンジンで、1000cc以下のクラスで世界最速の時速295.44kmを出し、自身の記録を更新するのだ。
今でも1000cc以下の流線型バイク世界最速記録は彼のもののはず、、、である。
この映画の始まりに少年と、バイクについての語らいのシーンがある。今の時代にこんな事を言うと女性の方達に怒られるかもしれないが、あえて言わせてもらう。「男に生まれて良かった!!」 結局、男は死ぬまで「男の子」なのかもしれない。
まとめ
さて今回は靴から始まり大学そしてバイクになった。どれもアメリカの歴史に残るアメリカの財産である。「アメリカの歴史は東にある」と誰かが言っていたが、ヨーロッパとのつながりは計り知れないのである。
今回これを書くことによって、人間が生きて行く上には使命があるのだという事に、今更ながら気づかされた様に思う。チャレンジすることに縛りなどなく、いつでもやる気さえあれば必ず応援してくれる人がいるのだ。努力さえしていれば、必ず誰かが見てくれているものなのである。
また今回もかなり長くなってしまったが最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。