アメカジ HOBBY&昔話 アメリカ

アメリカ AtoZ 。A.B.C.編。

今回、アメリカ AtoZ。と題して、A~Zまでの頭文字で一つずつ、アメリカのモノ、ブランド、コト、人物などにを紹介していきます。アメリカ、そしてアメカジ好き親父の嗜好の強い内容となっておりますが、アメリカの歴史とアメリカを代表するアメリカ製など、AtoZ。今回は、A、B、C、について。


目次

  • はじめに。
  • AtoZ 「A」。ABERCROMBIE&FITCH。
  • AtoZ 「B」。BabeRuth。
  • AtoZ 「C」。Coleman。
  • まとめ

はじめに。

今回、アメリカ AtoZ。と題して、A~Zまでの頭文字で一つずつ、アメリカのモノ、ブランド、コト、人物などにを紹介していきます。

誰しも、それぞれのアメリカがあるはず。俺のアメリカはテーラースウィフトだ、いやジョンウェインだ、いやレディーガガだ、など言い出せばきりがないくらい人それぞれ違うはずである。

アメリカ、そしてアメカジ好き親父の嗜好の強い内容となっておりますが、アメリカの歴史とアメリカを代表するアメリカ製など、AtoZ。今回は、A、B、C、について。

AtoZ 「A」Abercrombie and Fitch

まずは、「A」という事で、Abercrombie&Fitch (アバークロンビーアンドフィッチ)。アバクロと言ったほうが、ピンとくる方も多いかもしれないが、最近はアバクロ=アメカジの連想はきついかもしれない。

数年前のブーム時、そしてその前のアバクロはカレッジをテーマにしており、アメカジと言えたが、最近は別の路線になり、アメリカというよりはヨーロッパのストリート的な感じさえする。

アバクロと言うと何となく軽くなるので、せめてアバークロンビーと呼びたい。

EDDY

なぜ?

ベッカムなどが愛用しブームになった時に知った方は、あまりご存知ないかもしれないが、実はこのアバークロンビー、歴史はかなり古く百年以上も前からあるブランドなのだ。

アバクロなどと呼ぶにはいささか失礼である。創業は1892年、日本では明治25年、1894年が日清戦争だから、歴史あるブランドだという事が、何となく想像できるのではないだろうか?

デービッドアバークロンビーがはじめ、1900年にエズラフィッチが加わり1904年に、現ブランド名でもある「アバークロンビーアンドフィッチ」となった。

ニューヨークでアウトドアーのスポーツショップ?デパート?アウトドアーのデパートが正しいかもしれない。要は高級なアウトドアーショップ。

最高級な服屋さんで敷居が高く、そうそう原宿のラルフローレンのお店を想像してほしい。

あのお店に更に、高級なナイフ、高級な竹で出来た釣り竿、ウッドのカヌーや最高級なライフルなど、一級品のアウトドアグッズも扱っているお店。

こんな感じであれば、なんとなくイメージできるのではないだろうか?

最近のアバークロンビーから見て、どうしてもアバークロンビー=服屋さん風に思ってしまうが、本来は全く違っていたのだ。

顧客には、アーネスト・ヘミングウェイがいたことが有名であり、まさにアメリカのアウトドアーの高級品店だったのだ。

昔アバークロンビーから販売されていたハンティングジャケット。左上。

有名な釣りの作家、リー・アイセンバーグとデコーシー・テイラーこの二人が監修した「THE ULTIMATE FISHING BOOK」がある。

この本をめくってみるとものすごい内容である。釣りキチにはたまらないフライフィッシングとは何ぞや?釣りとは?鱒が人を狂わせることとは?

シチュエーションから釣りの絵画にいたるまで全255ページのハードブックである。

そのなかに登場するのが、紛れもない Abercrombie& Fitchである。釣りの歴史書とも言えるようなハードブックにさえ登場するブランドだったのだ。

私的にはかなり残念だが、M&Aを繰り返して現在のスタイルになったのは30年以上も前のことである。

アメリカのLIMITED社が買収し、全国へのチェーン展開が一気に進み、すっかりアバークロンビーの世界が変わってしまった。

しかしながら、今から5年ほど前までは、まだ何とか東海岸的な資質がありアメカジを感じられた。

長年、愛用しているベルトとカーゴショーツ。

チェーン展開が始まって少し経った頃、ボストンのAbercrombie&Fitchで購入したものだ。ロイヤルソネスタホテル横のガレリヤのモールの中にあった。

bostonのチャールズリバーを超えてロングフェローブリッジを超えると右側だ。ケンブリッジ、そう、ハーバード大学の近くである。

黒人の幾分ラッパー風のスタッフにベルトの在庫の有無を聞いてみると、そんな話はそっちのけで、前日にビルクリントンがやってきてジョギング用のスウェットやスウェットパンツにシャツなど、いっぱい購入されたと自慢していた。

この頃のベルトはアメリカ製で、昔の名残が少しだけ残っていたような気がする。全てがアメリカ製ではなかったが、少なくともアウトドアーのアイテムも多くあった。

同時期くらいに購入した、かなり地厚のフランネルシャツ、そしてこのキャップ。このキャップは使いすぎて色が完全に変色している。裏の色が元々の色だ。

本物であるが故に、何十年という時と共に、色褪せるどころかさらに雰囲気が増していく。釣りにキャンプに焚火にいつでもアバークロンビーを着ている。

しかしながら、相当に傷んでいる。ここまで被り続けられる者は、なかなかいないのではないだろうか?

もちろん、シャツもキャップも、いまだ現役である。

ヴィンテージブームの時のアバークロンビーには、最初からボロボロになったものあった。でもこれは、それ以前の物で元々綺麗だった。

その頃のカタログでもあれば、よりお伝え出来るのだが残念ながらここにはない。アメリカにあるかな???

少し若いが、今から23年前のカタログがでてきた。ブームになる少し前の頃のだ。

98年BACK TO SCHOOL ISSUEとある。この頃は少し横乗り系ではあるが、まだまだアウトドアーや東海岸アイビー風のイメージだった。

車もクラシックなブロンコ、そしてスノーボードのウェアーを着て騒いでいる。AFマークやロゴの勢いがある頃だ。

金持ちの高校生が着る服は、ラルフローレンとアバークロンビーと相場が決まっていたために悪たちの餌食にもなってたこともあった。

どこか少し古臭く、でもサイズは大きく時流のファッションでもあったが、先代からの教えやアウトドアーの匂いがどこかに残っていたようにも思える。

先のクリントン大統領ではないが、私も当時のスウェットなどのアイテムは今でも愛用している。

古きアイビーリーグの運動部の学生を意識したアイテムが多く登場したのもこの時期であった。

今後のアバークロンビーには多くは期待はしないが、これからもまだまだ着続けようと思っている。

何故ならこれほどまでにカレッジフィールドやアウトドアーのシチュエーションに合うものは今後おそらく出てこないと思うからである。

歴史あるブランド故、数こそ少なくても、継承すべきアイテムやその考え方やストーリーは忘れないでほしいと願ってやまない。

他にも「A」から始まるものは星の数ほどあるであろう。しかしながら、アメリカの歴史と実績を考えてみるとAで始まるブランドはこれ以外には考えられないのだ。

A to Z にABERCROMBIE&FITCH を選ばせてもらった。

AtoZ 「B」BABE RUTH

A to Z の「B」には、BABE RUTH(ベーブルース)を選出した。ベーブルースを知らない人は、アメカジ好きのもぐりである。

正しくは、ジョージハーマンルースジュニア、そう近年、大谷翔平と比べらるメジャーリーガーである。

とは言っても、ベーブルースが生きていたら何歳?1895年2月だから、え~~~っと126歳である。何故にそんなベイブと翔平が比較されるかというと、二刀流でという点だ。

ベーブルースも投げて打った凄い人だったからである。

アメリカの歴史の中で、彼を外すことはおそらく非国民行為に近い。彼があの世に旅立って70年後、また表彰されるとは誰も思わなかったであろう。

実は3年前にトランプ大統領が大統領自由勲章を追贈されたのである。アメカジ好きは、決まってアメリカが大好きで、そしてまた、その国のヒーローは必然と好きになる。

アメリカの国技は "フットボールにあり" とも言われるが、ベースボールにおいても国技ではなかろうか?

確かにアメリカンフットボールは英国の血があまり入ってないように思う。ベースボールはクリケット?いやいや、ベースボールはベースボールなのだ。

EDDY

ベーブルースさんの生い立ちを、軽く紹介しよう

1895年2月6メリーランド州ボルチモア出身。スーパースターの少年時代は実は "超" がつく程の悪ガキだった。

しかし、悪ガキになる為の理由がそこにはあった。

母を結核で亡くし、兄弟もほとんど亡くし、酒場で働く父に会う事も少なかった。

よりどころのないベーブルースは、子供ながらに酒にたばこに喧嘩に明け暮れ、セントメアリーの施設に厄介になるのである。

その後、神父さんに神の教えをとかれ、少しずつまともに成長し野球を習い、その後その才能を開花させるのである。

マイナーリーグのバルチモアオリオールズに入り、その後レッドソックスへ。

オリオールズが、まだマイナーリーグだったのだ。

ベーブルースは投手でありながら、ホームランバッターであった。投手としては2度のシーズン23勝を記録し、3度のワールドシリーズを制覇した。

毎試合出場を希望して野手に転向し、全米最高のホームランバッターになった。

後に、レッドソックスからヤンキースに移るとその勢いは止まらず、さらに拍車をかけるのである。

レッドソックスからヤンキースにトレードされた際、ボストン市民は時のオーナー、ハリー・フレイジーに怒りをあらわにし、そしてレッドソックスは呪われる事となる。

Harry Herbert Frazee ウィキベディアより

それから86年もの長い間、ワールドシリーズチャンピオンから遠ざかり、ボストンファンはこの事を「バンビーノ (ベーブルース) の呪い」と呼ぶようになったのである。

一方のヤンキースは、ベーブルースが加入してからは波に乗った。15年間で7度のア・リーグ優勝、4度のワールドシリーズ優勝に輝いた。

選手としての最後は、ボストンブレーブスである。

アメカジ好きは、アメリカンヒーローを好きになるのが当然と述べたが、ベーブルースを好きになるにはもう一つ理由がある。

先のアバークロンビーのカレッジものしかり、アメカジアイテムにはスポーツ関連のウエアが多く存在する。

アメフト、バスケ、アイスホッケー、様々スポーツはあれど、ベースボール、特に昔のウエアは、カッコイイのである。

ベースボールにおいてユニフォーム以外にはグランドコートと呼ばれるものがある。ナイロン製であったり、レザーであったりする。

いわゆるスタジャン。その昔はもちろんのことウールとレザーである。ここにすごく珍しいものがあったので紹介しよう。

右下のベーブルースが着ているのはカーディガンである。レターカーディガンに近いものである。

これはアメカジアイビーファンのまさに横綱アイテムではなかろうか?

ひと昔前まではマストアイテムなどと言っていたが、今でも通用する気がする。

野球の功績の偉大さの強いベーブルースは、実はかなりのおしゃれさんでもあった。そして多才だ。

ゴルフも有名、釣りやハンティングも有名で、皆さんがご存知のアウトドアーのヘビトラアイテムであるビーンブーツの愛用者でもあったのだ。

彼と、エルエルビーンとの繋がりはかなり濃かったようだ。当然、ヤンキース時代にはAbercrombie & Fitchの上位顧客であったであろう。

前項で述べたように、高級アウトドアショップであった当時のアバークロンビーは、著名人のトレードマークでもあった。

ベーブルースの写真を見ると、かなりのお洒落さんであった事が、見受けられる。

右下でベーブルースが履くのは、メインハンティングブーツの大昔版である。ハンティングジャケットに、つばの長いフィッシングキャップをかぶっている。

そして、面白いストーリーがもうひとつ。

ベーブルースには、テーラーになりたいという一面もあったようで、ユニフォームなどのほつれや修理等、自分だけではなくチームメイトの分も縫って修理してあげたことはちょっとだけ有名な話である。

彼は "俺に1時間くれたら、シャツ4枚は縫い上げてみせる" と自慢する程の実力者であった。

実は子供のころセントメアリーで、神父さんから仕立てを習い、夕方にベースボールを教えてもらってたのである。

THE BABEより 右上の写真  縫製を習っている

テーラーにとっての商売道具である「手」の為に、ベースボールを辞めようという考えが芽生えた頃、バルチモアオリオールズから初めてのオファー受けたベーブルース。

野球の道を断念しかけていた彼にとってこのオファーは、野球を続けられるという喜びもあり、格段の喜びであったようだ。

ベイブルースの話は、とにかく興味深いものが多く全部を話すとなるとかなりの時間を要する。彼の生涯を映画で見ることができる。

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日本名は「夢を生きた男/ザベイブ」

ベイブを演じたのはジョングッドマン。私はこの時代を生きたわけでもなく実在のベイブを見たこともないが、ジョングッドマン演じるジョージハーマンルースジュニアは本人そのもの。

この映画を見てからはジョングッドマンが、どの映画に登場してもベーブルースにしか見えない。

それほどの熱演であり、素晴らしいストーリーなのだ。アメリカ A to Z のBは、まさにベーブルースしか頭に浮かばない。

THE BABE A LIFE IN PICTUREより

1948年6月13日、ヤンキースタジアムにおいて "背番号3" が永久欠番に指定された。

この時すでにベーブルースはバットの代わりに杖が必要なほど病に侵されていた。

この社品はニューヨークヘラルドトリビューン紙のカメラマン、ナットファイン氏が撮影したもので、ベーブルースの野球史上もっとも有名な写真である。

ナットファイン氏は翌年の1949年に、この写真でピューリッツアー賞を受賞している。ベーブルースが残した数々の記録とその栄光は永久に伝えられるであろう。

AtoZ 「C」Coleman

アメリカへの憧れは、この1冊から始まった。そして、そこにあったのが、アメリカ A to Z の「C」。Coleman(コールマン) のツーバーナーだ。

当時高校生だった自分は、アイビーが入り口で何となくアメリカの様式が気になってきた頃であった。

そんな時に高校生にはかなり刺激的な映画がやってきた。

皆さんも1度は耳にしたことがあるのではないだろうか、アメリカングラフティーである。

こちらもAの項目でランクインするが、一つという事で、アバークロンビーにした。

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監督・脚本がジョージ・ルーカスで、彼の高校時代のころの話を映画にしたものだ。

時代は1960年代、全てが大きくて、車、テレビ、冷蔵庫、ゴールデンレトリバーに、何もかもが、かっこよかった時代。

あまりにもショックだった。アメリカが、とにかくかっこよくて憧れだった。

        my three sons 日本ではパパ大好きという番組名であった

そんな事前学習をしていた為 "MADE IN U.S.A."が出版されたときは清水の舞台からすぐに飛び込み。。。いや、本屋に駆け込んで高級雑誌を購入した。

雑誌購入などという大人のお金の使い方は、高校生にとってはなかなか大変なことだった。

たしか時給が300円か350円くらいの時だったので、約一日分のバイトの稼ぎがこの本一冊に消えたのだ。

この本は社会人になっても、そして会社の新入社員教育にも使用した。

なんせアメリカブランドの歴史的な教科書であった。その中にはギター、車、オーディオ、家具、もちろんファッション、そこには様々なアメリカが紹介されていた。

そして、その中にキャンプ道具があった。Colemanのツーバーナーが載っていた。高校時代にVANのポスターにやられてヨットマンになり、MADE IN U.S.A. の影響で、いつかはアメリカ的なキャンプをやりたいと思ったのだ。

EDDY

ここで少しだけCOLEMANの歴史について語ろう

1900年ウィリアム・コフィン・コールマンによって、創業、前身となるハイドロカーボン・ライトカンパニーという会社が設立された。

当初から、ガソリン式ランプを販売していたが、当時のガソリン式ランプは粗悪品が多く、販売は伸び悩んでいた。

そこでガソリン式ランプのリースのビジネスを考案しその後、会社の業績は上がり、さらに耐久性とメンテナンス性に優れたガソリン式ランプを自社開発し、販売に乗り出すことになるのだ。

コールマンジャパン公式ページより https://www.coleman.co.jp/brandaction/people/

1905年のアメリカンフットボールのナイトゲームにアークランプが照明に使われたのは有名な話である。

第一次世界大戦後には、オートキャンプスタイルの波に乗って、キャンプストーブの販売をはじめる。

現在も人気のツーバーナーの前身である。 また米軍の要請でGIポケットストーブなど、戦場で使用するガソリンストーブの開発をはじめ、1940年 第二次世界大戦 1942年連合軍の北アフリカ進攻に合わせて、GIポケットストーブを提供。

1954年にはスチール製のクーラーボックスを製造開始、のちにプラスティック製を実用化させて業界を驚かす。

そんな時代を経て総合アウトドアーギアメーカーになるのだ。そのほかにもカヌーなどのスポーツギアも発売する。

EDDY

それではエディー思い入れのコールマンをご紹介しよう

初めて買ったストーブは、ブラックピークワンストーブ。現在は製造されていない。初めて使ったのは奥多摩であった。

家族と友人の四人でカップラーメンとコーヒー、それだけでも凄くうれしかった。

多少のメンテナンスはするが常に現役、約40年近く前のもだ。アルミのケースに入っていて今も凄くお気に入りなのだ。

一時期キャンプから少しだけ離れたことがあったが、一年で使わなかったことは一度もない。特にこのストーブは冬に活躍するのだ。

雪の山で使用したり河川で使用したり、シーズンによってはマイナス20度になることも、そんな状況になるとガスは使えない。

そんな時にでもホワイトガソリンが使用できるコールマンは最高のアウトドアーギアーである。

続いての紹介はやはりコールマンの歴史のものでこれまた現在販売されていない。

初めて購入したツーバーナーである。当時サラリーマンで、子供一人で専業主婦のかみさん、入社して数年の妻帯者にはかなりつらい値段であった。確か28,000円

とにかく宝物で当時の社内報で、私の宝物紹介という欄があったが、そこにこのツーバーナーのことを書いた思い出がある。

ツーバーナーにはメキシカンホーローの食器は外せない。

そんな情報は小林康彦さんのヘビアイから学んだ。この本でアウトドアーを知りコーディネイトを知ったのだ。

この本の中にはキャンプのこと、食器のことまでもイラストで紹介している。今のすべての原点は TAKEIVY よりもこの本かもしれない。

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そして最後にやはり、コールマンの顔であるランタンの紹介をしたいと思う。

当然この時期、同時期にツーマントルランタンも購入しているが、今回は数年前に誕生日のプレゼントに買ってくれた200Aである。確か1964年製である。

今も微調整しながら使っている。だましだまし、他のもっと古いものや、その他の古いツーバーナーなども。

こうやって改めて見ても、かなりボロであっても決して古くはなく、むしろ迫力さえある。そして優しさもある。自分と一緒に年を取ってきた相棒でもある。

これからもアメカジスタイルでキャンプをする時は必ず一緒なのだ。

そんな Coleman のアイテムたち。AtoZ の C を、Colemanに選定させて頂いた。

まとめ。

さて今回はかなり長く、またかなり個人的嗜好の濃い内容となりました。

旧VANの創始者である石津健介氏が作った言葉である「T.P.O. 」、時と場所と場合。もっと簡単に言うと、何着て何するの?どこに行くの?

きっと昔からあったのだが、それを他人様が教えてくれる事などなかった。ファッションは何故にあるのか?

あるべきなのかを考えると全てはこの言葉に集約されているのではないだろうか。

それが独りよがりであろうと、スタイルであることが大切なのだ。

スタイルとは装いを含めた生き方なのかもしれない。私はたまたまアメリカの服装が好きだから、このようなことを書いているがそれぞれの民族において歴史がありスタイルがあり、その国のかっこよさがある。

今回のテーマ、「アメリカ AtoZ 」。かなり個人的な感情や好き嫌いが入っている事をお許しください。

アメリカという大国をこんなに簡単に表現できるはずがないと言われれば、返す言葉もありません。

私個人の好き嫌いで書いている事をご理解下さい。今後、D~Z。

まだまだアメリカブランドについて書くことがあるかもしれませんが、同じ感覚でご理解の上ご拝読いただけることを希望します。

最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございます。

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